(1)法律による規定がほとんどない
(2)報酬が寡少
の二点からお話ししました。
今回は、部活動の抱える時間的拘束についてお話します。
この問題については、近年新聞などでも報じられるようになり、一般にも認知されるようになってきています。
部活動の時間
前回お話したように、部活動の時間に規定はないので、それぞれの部によって活動時間は異なります。当たり前のようですが、教育制度として明らかに異常です。一般的な運動部であれば、平日5日間の16時~18時30分(冬季は18時)を基本とし、土日は半日から一日の練習を行います。熱心な部活動であれば、平日始業前に朝練も行っています。高校であれば、昼休みに練習する部も多くあります。生徒にとっても教師にとっても、時間的拘束はかなり大きいといえるでしょう。
教師の場合、部活動の指導を終えても、すぐに帰宅できるわけではありません。部活動を指導している間にできなかったさまざまな業務をそれから行うからです。
休日に開催される大会ともなれば、教師は早朝から会場の準備や生徒の引率を行います。18時に大会が終了して生徒を帰宅させ、その後顧問の教師たちの打ち合わせがあることもあります。
このようなことが日常的ですから、部活動の顧問である教師は、仕事と生活の時間を著しく制限されます。家庭生活では家族に大きな負担をかけることになります。
多大な練習量が保たれている理由
青春のすべてをかけろ!
学生が青春時代に打ち込むものがあるのは歓迎すべきとだと思います。ときに自分のもてるすべてを懸けるのも良いことでしょう。仲間と切磋琢磨し、苦難を乗り越えていくことには大きな価値があります。
三年生は引退するときに、自分たちが果たせなかった目標を後輩に託します。後輩は涙ながらにそのたすきを受け取り、先輩を超えようと努力します。こういった体験は、人生の中でそう何度も味わえるものではありません。このような価値ある経験のためには、十分な活動時間が必要です。仮に部活動が平日のみであったら、練習試合や大会も実施できなくなってしまいます。現行の部活動の教育的価値を維持しようとするなら、この活動時間は妥当だと言えます。
このような価値ある活動のために、自分の時間のほとんどを費やしても構わないと思う学生も、そう思わない学生もいます。ですから学校には多様な部活動があり、活動の時間もさまざまです。学生は自分に合った部活動を選択することができます。しかし教師にはその自由がありません。
「俺は教師になって子供たちに野球を教えるのが夢だったんだ」という人は、現行の体制に不満がないことでしょう。しかし「私は教科の授業をしたくて教師になったのに、部活に圧迫されて授業準備がボロボロに……」という人も多くいます。いやマジで多くいます。
教員の職務が加速度的に増加する現在、旧来の体制を維持しようとすれば、教員の過重労働をはじめ、さまざまな問題が発生します。
顧問はやればやるほど評価される
部活動、そしてその指導を、やればやるほど良しとされる風潮も問題です。
たとえば、土日に教室を利用して補習授業を行う教師がいたとしたら、問題があるでしょう。「え、いいことじゃん。どこに問題が?」と思われた方はだいぶ反省してください。
実は似たようなことはすでに起こっています。
ある部活動の顧問は、生徒が部活に熱中するあまり学業をおろそかにしないように、勉強の面倒もよく見てやっています。テスト前の放課後に補習を行ったり、夏休みには宿題をやる時間を設けたりしています。保護者からもとても評判です。
このような生徒指導は、その授業を受けられる一部の生徒にとっては喜ばしいことかもしれませんが、全体に対しては不公平が生まれます。一部が他に実施できない過剰なサービスを行うことは、組織全体としてマイナスになることは、言うまでもないでしょう。
しかし部活動はそもそもが「教員の自発的行為」なので、どこまでという規定がありません。それで、やればやるほど良しとされてしまうのです。
また、日本の部活動の特徴として、非常に競技レベルが高いことを以前に述べました。部活動はレクリエーションではなく、勝負の世界です。勝つためには相手チームより多くの練習をする必要があります。結果、土日も夏休みも冬休みも毎日部活。新入生は入学式より先に入部式。「テスト前は部活をやめましょう」と学校で決めても、「うちの部は大会近いんでやります」の連呼です。
日本の部活動の競技レベルが高くなった最大の理由、それは、このやばい制度に誰もブレーキをかけなかったからにほかなりません。
そこにあるスポーツ至上主義
ところで、ここまでの話は運動部に限ったことです。
吹奏楽部を除いた文化部は、運動部よりも活動時間が短いので、部活動にあまり情熱を注ぎたくない生徒が入ることになっています。ええ、もちろん偏見です。文化部に属する生徒や教師は、学校内で地位が低い傾向にあります。運動ができる者がえらいというマチズモは万国共通なのではないでしょうか。
私は以前、美術部の顧問をしていたころ、サッカー部の顧問の年配教師からこんなことを言われました。
「美術部なんかじゃなくて、ちゃんと運動部の顧問やんなきゃだめだよ」
教師の私生活を犠牲とし、やればやるほどよいとされる部活動。この構造が出来上がった根幹には、運動の指導力を武器として、教育界で自己中心的な地位を築いている教師たちの存在があるといえるでしょう。
活動時間の見直しは可能か
では、部活動の時間を短縮することはできないのでしょうか。旧文部省では、「高校では週に1日以上、中学校では週に2日以上は部活動に休養日を設ける」という参考例を示しています。しかしこれは例であって規則ではありません。学校単位で週休2日に取り組めば、その学校の部活動は相対的に弱くなり、入学希望者が減ってしまうでしょう。自治体単位、都道府県単位でも同じことです。指針を守った者が損をする現在の体制では、活動日を減らすことは困難です。これを解決するには、文科省が全国一律の規則を設けるしかありません。罰則込みで。
部活動は、近年になってやりすぎと言われるようになりました。
実際に長時間化しているのも理由の一つですが、最大の理由は生徒と教師、両者の多忙化にあると思います。
社会のニーズが変化し、塾や習い事に通う子供が増えました。学生の生活は、今や授業と部活動のみではなくなってきています。部活動の体制も変わる必要があるでしょう。
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