この記事のざっくり
友人の子供が中学校へ進学しました。そこで、先生の態度が小学校と違うことに「なんだか嫌だなあ」と感じたそうです。
というのも、ある体育の先生は、腕を組んでふんぞり返るように座りながら指示をするのだそうです。そんな先生から「真面目に走れ」とか「姿勢を正せ」とか言われても、生徒としては「てめーこそ真面目にやれ」「お前が姿勢を正せ」「偉そうにされるとむかつく」……という気持ちになるということなのでした。
この感覚って普通?
私としては、友人や子供の感覚は、ごく自然なものだと思います。小学校の先生方との違いに驚いたことでしょう。現在の公立中等教育の考え方からすれば、教師は子供の手本であるべきですし、過度に権威を誇示するべきではありません。その先生の指導方法は、やや時代遅れであると言えます。その場にいないのに片方の話だけ聞いて批判するのも良くないのですが。
ところ変われば
ただし、これは「現在の」「公立中等教育」に限った話で、一歩学校の外に出れば違ってきます。多くの場合、指導者は権威的な態度であるのが当たり前です。映画の監督に対して、「えらそうに座って指示出してんじゃねえ」なんて思う役者は少ないと思います。社長室に呼ばれて、「なんで俺が立っててこいつは偉そうに座ってんだ?」と思う社員もたぶんいないでしょう。社会に出たらそれが普通です。
大事な中1ギャップ
ではなぜ、社会で受け入れられていることなのに、中学校では違和感を覚えるのでしょうか。それは、小学校と中学校のギャップが大きいからです。さきほど友人も、「小学校にそんな先生はいなかった」と言っていましたね。それがキーワードです。
子供は、大人に比べて自他の違いを認識することが苦手です。
幼児は、自分が見知ったものは他人も知っている前提で会話をすることがあります。また、自他の立場を理解して敬語を使うことができるようになるのは高学年からです。たとえば先生が、低学年の児童に「おはよう」と言ったら、子供は先生を見習って「おはよう!」と返してきます。それではおかしな態度になってしまうので、小学校の先生はみな「おはようございます」とあいさつするのです。同じように、「廊下を走らないで」ではなく、「廊下は走りません」と一人称で注意します。そのほうが小さな子供にとっては理解しやすいからです。
自他の区別が未発達な小学生を相手にしているので、小学校教師は他の教育者に比べて、より謙虚な言動が求められます。また、小学校の先生には保育的な役割もあるので、子供たちに安心感を与える柔和な存在であることも大切です。
いっぽう、中学生くらいになると、だんだん自分と他人は異なる人間だということを、本質的に理解できるようになります。「子供には早く寝ろって言うくせに、大人は遅くまで起きていてずるい」とか、「先生だけ整髪料をつけていいのはおかしい」といった不満はこの時期特有のものですが、発達が進むにつれて言わなくなります。
そのような子供の発達に合わせて、小学校の先生と中学校の先生では、話し方も接し方も違ってきます。
小学校の先生が母性的であるのに対して、中学校の先生は一人の社会人として、毅然とした態度で子供と接します。指導的・父性的と言ってもいいでしょう。生徒は初めのうち、「中学校の先生は冷たい・怖い」と感じるかもしれません。ですがこのような環境によって、生徒は他者に対し節度ある距離を保てるようになっていきます。
もちろん、過度に権威を振り回すような態度は教師としても人間としても不適切であることは言うまでもありません。しかし、小学校と社会をつなぐ存在として、中学校教師には毅然とした態度が求められているのです。
中学生になったばかりのときは、小学校との違いにストレスを感じることが多いと思います。でもそれは大事な違いです。あなたが「守られてばかりの子供」の段階を抜け出し、「一人の自立した人間」へ進むための道のりなのです。