幼いころ、あなたが風邪を引いたとき、家族は優しく接してくれたことでしょう。当然学校はお休み。消化に良いものを食べ、暖かくしてゆっくり休みます。
私たちは風邪を引いたときの辛さを知っていて、風邪に対する知識もあります。ですから、家族や知人が風邪を引いたときには、相手の立場に立って手を差し伸べることができるのです。
井伏鱒二の小説「黒い雨」では、広島で被爆した夫妻が、原爆症への差別に苦しむ様子が描かれます。放射線障害を負っても、見た目には変化がありません。農繁期にも労働することができない夫妻は、村人から怠け者と揶揄されます。
どうしてこれほど、周りの人の態度は違ってしまうのでしょうか。もしかして、よほどひどい村人たちだったのでしょうか。いいえ、そうではありません。簡単なことです。村人たちには放射線障害になった経験がなく、放射線障害への知識がなかったのです。人は、知らなければどこまでも残酷になります。それがどんなに心優しい人であってもです。
もしも、風邪がまったく理解されていない世界があったとして、そこであなたが風邪を引いたらどうなると思いますか。
おそらくこうなります。
熱とか咳とかの概念がないので、「体温が高いなら脱げ」と言われるでしょう。あなた自身にも正しい対処法がわからないので言う通りにしてみますが、当然症状は悪化します。「ぼーっとする」とか「だるい」とか訴えても、「少し体を動かしてみたらすっきりするんじゃない?」と優しく言われます。仕事も学校も休めません。最悪です。
いっぽうこちらは、骨折がまったく理解されていない世界です。
「足が痛い」ということを伝えようにも、「痛い」という言葉がないので、「足が苦しい」とか、「立とうとすると辛くて立てない」とか言うしかないのですが、「疲れたってことだろ?」と、まったく理解してもらえません。
全員目が見える世界があったら恐ろしいですね。目が見えないことが、本人の努力不足ととらえられるわけですから。
記録上、大正時代以前の日本は、食物アレルギーがまったく理解されていない世界でした。命にかかわることを好き嫌いとみなされるなんて、たまったものではありません。最近でもたまに大正時代からタイムスリップしてきた人の話を耳にします。
うつ病も、骨折や弱視と同様に、本人の努力でどうにかなる症状ではありません。これがもし「心の病気」とか言われて、本人の意思が弱いせいだとみなされる世界があったら、めちゃめちゃ怖いですね。
少し辛口に言いますが、身近な人の病気や障害をよく知ろうとしないのは、相手を傷つけていることと同義です。上にあげたような出来事が現実に起こってしまうでしょう。互いに異なる事情をもつ私たちが暮らしていくには、思いやりと正しい知識をもつことが大切です。
もちろんここにあげた世界はすべてフィクションです。
でも、もし間違ってこんな世界に迷い込んでしまったとしたら、ぞっとしますね。
私たちは風邪を引いたときの辛さを知っていて、風邪に対する知識もあります。ですから、家族や知人が風邪を引いたときには、相手の立場に立って手を差し伸べることができるのです。
井伏鱒二の小説「黒い雨」では、広島で被爆した夫妻が、原爆症への差別に苦しむ様子が描かれます。放射線障害を負っても、見た目には変化がありません。農繁期にも労働することができない夫妻は、村人から怠け者と揶揄されます。
どうしてこれほど、周りの人の態度は違ってしまうのでしょうか。もしかして、よほどひどい村人たちだったのでしょうか。いいえ、そうではありません。簡単なことです。村人たちには放射線障害になった経験がなく、放射線障害への知識がなかったのです。人は、知らなければどこまでも残酷になります。それがどんなに心優しい人であってもです。
もしも、風邪がまったく理解されていない世界があったとして、そこであなたが風邪を引いたらどうなると思いますか。
風邪がまったく理解されていない世界
熱とか咳とかの概念がないので、「体温が高いなら脱げ」と言われるでしょう。あなた自身にも正しい対処法がわからないので言う通りにしてみますが、当然症状は悪化します。「ぼーっとする」とか「だるい」とか訴えても、「少し体を動かしてみたらすっきりするんじゃない?」と優しく言われます。仕事も学校も休めません。最悪です。
骨折がまったく理解されていない世界
いっぽうこちらは、骨折がまったく理解されていない世界です。
「足が痛い」ということを伝えようにも、「痛い」という言葉がないので、「足が苦しい」とか、「立とうとすると辛くて立てない」とか言うしかないのですが、「疲れたってことだろ?」と、まったく理解してもらえません。
弱視・盲がまったく理解されていない世界
全員目が見える世界があったら恐ろしいですね。目が見えないことが、本人の努力不足ととらえられるわけですから。
食物アレルギーがまったく理解されていない世界
記録上、大正時代以前の日本は、食物アレルギーがまったく理解されていない世界でした。命にかかわることを好き嫌いとみなされるなんて、たまったものではありません。最近でもたまに大正時代からタイムスリップしてきた人の話を耳にします。
うつ病がまったく理解されていない世界
思いやりと正しい知識
病気が理解されていないということは、どれほど思いやりがあっても、適切な手助けができないということです。それだけではなく、本人にも周りにもどうすればいいかわからないということです。辛い症状を伝えることができないということです。能力が低い、意思が弱いと言われ続けるということです。少し辛口に言いますが、身近な人の病気や障害をよく知ろうとしないのは、相手を傷つけていることと同義です。上にあげたような出来事が現実に起こってしまうでしょう。互いに異なる事情をもつ私たちが暮らしていくには、思いやりと正しい知識をもつことが大切です。
もちろんここにあげた世界はすべてフィクションです。
でも、もし間違ってこんな世界に迷い込んでしまったとしたら、ぞっとしますね。