「障がい者」という表記 Transcription about disabled people


あまりスポーツに詳しくない私ですが、チェアスキーっていうんですか、あれすごいですね。
速いとか以前に、乗って滑るだけで超人的だと感じます。しかも下半身の大部分の運動を制限された状態で乗りこなしているわけですから、どうやってバランスをとっているのか想像もつきません。鍛え抜かれた肉体と精密な機械が可能にする超スピードを見ていると胸が躍ります。

出典 時事通信社

さて、パラリンピックの報道を見ていて思ったのですが、障害者を「障がい者」って表記するの、私は好きになれません。いろいろ理由はありますが、一番のわけは、表記する側の「これやっときゃ障害者に配慮してる感出るっしょ!」的な思いを感じてしまうからです。やる側の自己満足の人権尊重が、逆に多くの人を傷つけるのを、私はこれまでに何度も目の当たりにしてきました。

障害者の表記を変更することは、非常にデリケートな問題です。
変更にともなってさまざまな問題も発生します。私は、近年「障がい者」の表記を用いるメディアや自治体が急増している理由は、単にブームに乗り遅れたくないからなのではないかと邪推しています。だって本当に信念あってやっていることなら、何十年も前から単独でやることだってできたはずでしょう。



「障がい者」と表記するのはなぜ?


そもそも、「障がい者」と表記する理由は何でしょうか。

自治体や企業のWebサイトでは、表記に関するポリシーを掲載しているところがありました。以下は引用ではなく要約ですが、正確さに努めました。

T県
「障害」の「害」にマイナスのイメージを感じる方がいる。

Y県
障がいのある方の人権を一層尊重する観点から。

T市
市総合計画の審議の中で、「障害者の"害"の字が不快感を与えて好ましくない」という提言があった。「障がい者基本計画」を策定する際にも、「障害者」という表記について「"害"の字を石へんの碍、あるいはひらがなにすべき」という意見がまとまった。
一般的に「障がい者」の"害"の字には「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味があり、人を表すときに"害"を用いることは人権尊重の観点からも好ましくはない。

N市
障がい者に対する差別や偏見をなくすため、「障害者」の「害」の字をひらがな表記で「障がい者」にする地方自治体が増えている。
「N市障がい者団体」に意見を求めたところ、表記への変更に取り組んで欲しい旨の総意を得た。

O社
近年、「害」という漢字が負のイメージが強いため、差別・偏見を助長するという考え方から、ひらがな表記にしている市町村や障がい関係の施設、事業者なども増加傾向にある。不快感を持つ人が少しでもいる限りその気持ちを尊重する。


 各自治体・企業の主張をまとめると次のようになります。
  • 差別や偏見をなくすため。
  • 「害」は差別・偏見を助長するから。
  • 「害」の字に否定的な意味があるから。
  • 「害」の字にマイナスのイメージを感じる方がいる。
  • 不快感を持つ人が少しでもいる限りその気持ちを尊重する。
  • 市の障がい者団体に意見を聞き、変更の総意を得た。
  • 表記を変える自治体が増えている。
 順に見ていきましょう。

  • 差別や偏見をなくすため。
  • 「害」は差別・偏見を助長するから。
「害」の字を用いると偏見を助長とはどういうことでしょうか。あたかもその人が周りに害をなす人物であるかのような印象を受けるということでしょうか。実際にそのような誤解があるならばまだしも、「障害者は『害』の字が入っているから、人に害を与える人だろう」などという誤解は聞いたことがありません。
逆に、「障がい者」と書くと良いイメージになるというのでしょうか。私はむしろ、過度な配慮ではれもの扱いされているような印象を受けます。

  • 「害」の字に否定的な意味があるから。
これはかなり暴論です。否定的な意味のある漢字を使えないなら、「障」も使えなくなります。「患者」も「病人」も「被災者」も「被害者」も、人権を無視した差別的表現ということになります。

  • 「害」の字にマイナスのイメージを感じる方がいる。
  • 不快感を持つ人が少しでもいる限りその気持ちを尊重する。
一見いいことを言っているようですが、危うい考え方です。そもそも、誰にも不快感を与えないものなど存在しません。「嫌だという人がいるから」という理由で何もかも変えることは、良いことではないでしょう。それに、「障がい者」の表記が嫌だという人たちの声は無視されていることになります。

  • 市の障がい者団体に意見を聞き、変更の総意を得た。
これは評価できます。できれば複数の団体に聞いてほしかったところです。
逆に、N市以外の自治体は外部から意見を募っていません。「マイナスのイメージを感じる方がいる」と言っていますが、聞き取りを行ったわけではないのです。

  • 表記を変える自治体が増えている。
だから何だというのだ。周りのせいにするなよ。


「障がい者」と表記を改める理由を見てきましたが、どうも差別や偏見の問題の本質を解決できるようには感じられません。というより、本当に解決しようという気持ちが文面から見えてきません。私が気にかかるのはそこです。目立つところ形だけ取り組んでおこう、という印象を受けてしまいます。



「障がい者」の表記のデメリット



「障がい者」の表記にはマイナス面も存在します。

検索しづらい

まず、ブラウザやSNSなどで検索しづらくなることです。
「障害者」、「障がい者」、「障碍者」のように複数の表記があると、福祉に関わる記者やデータベース管理者などは、検索したりまとめたりする手間が倍増します。


場所によって表記を変えなければならない

国の法律では「障害」、新聞も「障害」、A市では「障がい」、B市では「障害をもつ障がい者」のように、それぞれの場所で表記を定めると、あらゆる文書を作る手間が増えます。間違った表記によって刷り直しも発生します。


「障害者」という表記への差別

「人権尊重のために『障がい者』と書く」という理論は、「『障害者』という表記は差別的だ」と言っていることになります。「障害者」の語になんら差別的な意味を感じていなかった人たちに対して、新たな差別を押し付けていることに気付いてほしい。


はれもの扱いの表現

「障がい者」という表記は、漢字かな交じりで、自然な日本語の表記ではありません。いかにもとってつけた特別扱い感があります。もちろん障害者には特別な支援が必要です。しかし、それは障害者がなるべく特別な存在にならないようにするためのものであるべきです。



問題の本質

「障害者」の表記が嫌だという声はなぜ生まれたのでしょうか。
「害」の字の印象が悪いという理由ならば、なぜ「被害者」や「患者」からは同様の声が上がらないのでしょうか。

「障害者」と「被害者」・「患者」。これらの違いは字の印象ではありません。単純に、差別されているかどうかです。その呼称で差別され続ければ、その呼称は差別性を帯びるのです。

たとえば現在、「白痴」や「きちがい」といった言葉は差別的な意味合いが強く、放送や出版では自粛される傾向にあります。これらの本来の意味は、単に「頭が悪い」とか「正気を失っている」というものでしたが、知的障害・精神疾患を差別的に表現する語として用いられたために、単語そのものが差別性を帯びてしまったのです。

現在それに代わる語として、インターネット上の掲示板では「池沼」、「糖質」、「アスペ」や「コミュ障」、「ガイジ」などが蔑称として用いられています。それでは、「統合失調症」や「アスペルガー症候群」の表記を変えれば差別を解消できるのでしょうか。

問題の本質は、呼称や表記にあるのではなく、差別を阻止することにあります。
呼称に原因を転嫁するのをやめましょう。そこに気付かなければ、「『障がい者』もだめだ、『しょうがい者』にしよう、いや『チャレンジド』にしよう、『PWD』にしよう……」といつまでも続くだけです。



なかなかよくできた「障害者」という呼称

さて、「障害者」という呼称はなかなかよくできていると思います。個人的に。
というのも、これがもし「不能者」であったら、できないことを決めつけられているようです。「困難者」であれば、常に困っていることになります。ところが「障害」であればそれを乗り越えることができます。

かつて障害は、本人の中にあるものという認識が一般的でした。もちろん現在でもその考えに基づいて医学的治療や研究が進められています。
いっぽうで、障害はその名の通り壁、その人と社会の間にある物だという考え方も一般的になりつつあります。たとえば私は眼鏡のおかげで弱視という障害を取り除かれています。また、うつ病のせいで差別されているのではありません。うつ病に理解がないことで差別されているのです。その人に障害を与えるのも、取り除くのも、社会の在り方次第だといえるでしょう。

私は「障害者」という呼称は、本人や周りの人の努力で困難を乗り越えることができるという、希望に満ちた表現だと思います。