ここ一年くらい気になっている商品があります。
これです。
画像:家モノカタログ
画像:ハンコズ
同じようなコンセプトで、缶バッジやスタンプの商品もあります。
花粉症や喘息で、どうしてもくしゃみや咳をしてしまうときありますよね。でも、感染症にたいしてナーバスな昨今。公共の場所でくしゃみや咳をしていると、人の目が気になります。そんなときに便利なアイテムがこれ。「アレルギーだから感染しません、安心だよ」ってことを、さりげなく伝えられます。
ちょっとまって、めちゃくちゃ差別的じゃないですか?
ようはこれ、「私は新型コロナウイルス患者じゃないから差別的な目で見ないでね。文句を言わないでね」ってメッセージなわけです。
裏を返せば、新型コロナウイルス患者への差別を肯定していると言えるのではないでしょうか。だって別の例で考えてみてください。これが「日焼けです(黒人ではありません)」とか、「ホモではありません」とかだったら最悪ですよ。
感染者を排除するべきか
本当に感染している場合であっても……
もちろん、新型コロナウイルスに感染していることが明確な場合は、公共の場に行くことは控えるべきなのは言うまでもありません。というか外出自体だめです。
ですから、感染者を隔離する行為は一見肯定されるように思えます。しかしそれは行政が法に則って慎重に行うべきことであって、個人が行ってよいことではありません。
感染が疑われる場合
発熱がある場合には、入店を断られることがあります。これは差別ではなく、適切な隔離といえるでしょう。なぜならそれは、保健機関の研究に基づく情報を政府が公表し、それによって一律に行われている対策だからです。
個人レベルでの排斥は、単なる差別にすぎません。日本で感染が確認され始めたころ、自衛のために「NO CHINA」の表示を出した店があり、国内外の人の心を傷つけました。あるいはかつて、東北の食材は危ないという風評が復興を妨げました。流言飛語に踊らされた差別は、もっとも愚かな行為です。
人々の猜疑心には限りがありません。一度このような差別を許すと、少しでも疑わしい行為を見つけては排斥を繰り返す世の中になってしまいます。
マナーを注意するのは良い?
咳エチケットというものがあります。そりゃマスクしてない人がくしゃみをして正面から思いっきり唾をかけられたら、「おい!」となりますわな。厚生労働省や保健所が提示するマナーに抵触するわけですから、それは注意していいでしょう。
自衛したはずが……トラブルを加速する!?
「いくら『個人での排斥は差別』って言ってもさ、実際に咳をした人が文句を言われるようなトラブルが起きてるわけじゃん。トラブルから身を守るためには、シールとかで自衛するのも仕方ないんじゃない?」そう思われるかもしれません。っていうか思いますよね。正直私だってトラブルは避けたいっすもん。
ところが、自衛することによってさらにトラブルが増えてしまうとしたらどうでしょうか。間違った対策は、弱者をさらに苦しい立場に追い込んでしまいかねません。現状と解決策を、シールを使用させる人、使用する人、シールを作る人、それぞれの立場で考えてみましょう。
使用させる人
自粛警察と呼ばれる行動があります。新型コロナウイルスの感染予防に過剰な、ときに非科学的な基準をもち、他者に強要するものです。本人は気づいていませんが、感染防止の大義名分を借りて他者を叩きたいだけです。
公共の場で咳やくしゃみをしている人を見つけると、「お前、新型コロナウイルスに感染してるだろ、バスから降りろ!」と言ってトラブルを起こします。ゾンビ映画か。
そりゃ、体調が悪いのにバスや電車を利用することは、推奨されたことではありません。でも、ふいに体調が悪くなることは誰にでもあります。そんな人を見かけたら、まずは心配していたわるのが人の心というものではないでしょうか。それは喘息だろうと花粉症だろうと、新型コロナウイルスだろうと関係ありません。病気でつらい症状が出ている人に追い打ちをかける行為は、絶対に許されることではないのです。
ところで、私が言っている「使用させる人」は、自粛警察のことではありません。お前です。あなたは、「自粛警察には何言っても無駄だし、トラブルに巻き込まれるのも嫌だし、自分には関係ねーし、花粉症や喘息の人に自衛してもらえば丸く収まるよな……」と思っていませんか。残念ですが、それはいじめの傍観と同じです。傍観は肯定ですから。弱者を生きづらくさせているのは、だいたいは私たちの傍観です。
大切なのは、不当な行動を認めないことです。車内トラブルに首を突っ込めとは言いません。ただ、「別に関係ねーし」ではなく、「こんな風潮っておかしいよね」という気持ちでいてほしいと願います。
使用する人
実際に持病を抱えていて、電車の中で文句を言われたり睨まれたり、嫌な目にあったんだという人に、シール貼るなとは……言えないです。言えないですが、少なくとも前向きな解決策ではないということはお伝えしたいと思います。
このアイテムの流行は、すなわち「シールを貼っていないんだから、文句を言われても仕方がない」という世の中を作り出してしまいます。これらはファッション感覚で使えるかわいいステッカーではなく、ともすれば自分たちをより苦しい立場に置きかねない商品だということを心に留めておいてほしいと思います。
製作者、販売者へ
この商品は、すばらしい思いやりから作られたものだと思います。つらいアレルギー症状を抱えながら、さらに肩身の狭い思いをしている人々のことを助けたいという気持ちから生まれたものでしょう。私はその心遣いとアイデアに胸を打たれます。そして、実際に多くの人に安心感を与え、直接的なトラブルを防いでいる効果があることは事実です。
それでもなお、私はこれら商品の制作、利用、販売を肯定しません。悪いのは文句を言うやつであって、病人が気兼ねする必要はない。文句を言うやつらに合わせていたら、どんどんつけあがらせてしまいます。
というわけでまとめると、
- 「私はコロナウイルスに感染してないよ」というアピールは、個人による感染者への排斥を肯定してしまっている。
- 文句を言うやつの理屈に合わせて自衛していると、どんどん窮屈な世の中になる。
ということになります。
今すぐ商品を利用するのをやめろ……と言うわけではありませんが、私たちの現状が、このような危険をはらんでいるということを、心の片隅にとどめておいてほしいと思います。