私は悪いと思ったものは明確に批判するので、けっこう相手を嫌な気持ちにさせたり敵を作ったりそんでまた攻撃されたりするのですが、まあそれはしょうがないと割り切っているところがあります。
というか批判されて敵対するってなんだよ。侮辱ならまだしも。社会、成長しろ!
さて、前怒りはこのくらいにして、今日の本怒りはこちらです。みなさんはテレビでこんなシーンを見たことはありませんか。殺人など凶悪な事件が起こると、コメンテーターが口々に、
まったく理解できませんね!
って言うやつ。
これ、私はスゲー嫌なんですよ。
みんな言うじゃないですかテレビに出てる人たち。なんかそう言わなきゃいけない空気ありますよね。「私は殺人犯の気持ちがわかります」とか、誰も言わないじゃないですか。
これってつまり、
私は犯罪をしようという気持ちがわかりません。
あなたは犯罪者の気持ちがわかるのですか? あなたも犯罪者予備軍ですか?
いいえ! 私にもまったくもってわかりません!!
って、互いに犯罪者予備軍だと思われたくないから、聖人ごっこしてるんですよね。小学生が、「お前、セックスって知ってる?」「え、しらね! 何お前、知ってんの?」ってやってるのと同じ心理状態です。
そもそも人間生きてればぶっ殺したいと思うことがあるほうが普通ですよ。でもそれをしないのは、その人の理性があって、環境があって、法律があるからです。なきゃぶっ殺してますよ。それを「まったく理解できません」って言うのは滑稽です。ちょっとは理解できるだろ。
あと、「そんな身勝手な理由で殺すなんて」ってのもお決まりのコメントですが、お前がその人の人生の何%を知ってんの? と思います。たとえ金目的だったとしても、その人が金でどれくらい苦しんでいるかはわからないじゃないですか。
聖人ごっこはなぜ起こる?
どうして「まったく理解できない」と言わなくてはいけないのか。どうして「理解できる」と言ってはいけないのか。それは、
犯罪をしようという欲求をもつのはごく少数の異常な人間である
という幻想によります。
これはもー、世の中のあらゆる差別や犯罪や諸悪の根源となっている、「自分とは違う少数のヤバいやつらが悪い理論」の一部なのですが、つまりはそういうことです。
その「少数のヤバいグループ」の人だとみなされれば、社会からガンガンいじめられるから、みんな必死で魔女狩りから逃れるわけです。だって犯罪者予備軍なのですから。その人達を社会から抹消すれば、犯罪なんて起こらなくなるのでしょう?
ですが実際には、少数の人間を排除することで解決した問題など歴史上に存在しません。にもかかわらずこのような思想が横行するのは、人間の心の弱さによるものです。みんな自分が安全な人間だと思い込みたいのです。めんどくさいことから目をそむけて、悪者をやっつけて世界を平和にしたいのです。
Imagine/想像しよう
理解を放棄するのは、問題の解決からもっとも遠い行為です。
本当に問題を解決しようとするならば、その逆、理解しようとすることこそが大切なのは言うまでもないことでしょう。「こいつが罪を犯したのは、こいつが悪人だったからだ」では、何も解決しません。「同じ状況に置かれたら、私も同じように過ちを犯してしまったかもしれない」と考えることができて初めて、社会にひそむ諸問題が見えてくるのです。
私は国語教師であり、今は演技者でもありますから、「想像する」ということの大切さは誰よりも身にしみてわかっているつもりです。自分とは違う立場の人間の思いを想像することがどれだけ大切なことか。
『大人になれなかった弟たちに……』という絵本があります。その中で少年は、戦時中の空腹に耐えかねて、幼い弟のミルクを飲んでしまいます。その結果弟は死に、少年は罪の意識に苦しみます。
この少年の行動を知って、「自分が飲みたいからといって、弟を死なせてしまうなんて、あまりに身勝手で理解できません!」と言うことに、いったい何の意味があるのでしょうか。私だって戦争も飢餓も体験していません。けれども想像することで、少年の悲痛な思いも戦争の陰惨さも、少しだけでも受け取ることができる。想像するからこそ、人は過ちを繰り返さないように努力することができるのではないでしょうか。
私にはあなたの人生を100%理解することはできません。でも、常にあなたの気持ちを理解しようと思います。