運動ができるとかっこいいのはなぜか Why it's cool to be good at sports



運動ができる人ってかっこいいですよね。




かけっこが早い子、かっこいいですよね!


サッカーうまい子、かっこいいです!


高校球児、めちゃめちゃかっこいい!


アスリート、尊敬します!





……ところで、運動ができる人は、どうしてかっこいいのでしょうか
そんなことに疑問をもったことがないって? 幸せですねこのクソ脳筋マジョリティーが。

私のような陰キャキモオタはそれしか考えてきませんでしたから、今日は貴様らにその理由をお話したいと思います。





その理由は、「勝つから」

シンプルに結論からお伝えします。
運動ができる人がかっこいい理由、それは、

勝つから

です。
さらに加えて言えば、

勝たせてくれるから

です。


思い出してみてください。小中学生のころ、足が速いやつってクラスのヒーローでしたよね。それに比べて、勉強ができるやつとか、絵が描けるやつとか、リコーダーがうまいやつとか、生き物の世話をしてるやつとか……たしかに魅力はあるんだけど、結局のところ足が速いやつが圧倒的にヒーローでした。


なぜか。

運動ができる人は、みんなの目の前で勝つからです。休み時間に勝利し、体育の授業で勝利し、運動会で勝利する。

そして運動ができる人は、チームを勝たせてくれる。休み時間のドッヂボールでは味方を勝たせ、体育のバスケットボールではチームを勝たせ、運動会のリレーではクラスを勝たせてくれる。さらに高校球児は学校を勝たせ、アスリートはオリンピックで国を勝たせてくれる。だからみんなが応援するし、みんなのヒーローであるわけです。





これ、みなさんあたりまえに感じている構造ですが、そうとうエグいですからね。

これを運動以外にあてはめてみましょう。
たとえば授業では、クイズ番組みたいに毎時間クラス2チームに分かれてテストの合計点を競わせ合ったらどうですか。点数も順位も全部公表して。そうそう、最後の一人が問題を解き終わるまでみんなで応援するのも感動的でいいですね。合唱祭はリレー形式で個人の歌唱力を採点して、下手なやつが歌うとどんどんクラスの順位が下がっていくシステムをやってみるのはどうでしょうか。

半分冗談、半分本気で言っています。だって運動だけ競わせるのおかしいでしょう?
きっとテストも盛り上がりますよ。実験が得意でクラスのヒーローなんて素敵じゃないですか。おはよう世界グッドモーニングワールドですよ。





教育現場の競争、そのバランス

スポーツに関する記事を書くと、積年の恨みが勝ってつい文章がアイロニックになってしまいますね。ここから教育の話なのでちゃんとします。


平成・令和の教育においては、過度な競争は避けようという動きが主流です。それは過去に教育に過度な競争が持ち込まれた結果、偏差値偏重、受験戦争、詰め込み教育、落ちこぼれ、その結果の非行増加、応用力の欠落などのさまざまな社会問題が生じたためです。

過度な競争にはマイナスの面も多いということです。
定期テストの点数が廊下に貼りだされ、偏差値がまるで人間の価値のようについてまわる。そんなの私だってごめんです。夜の校舎窓ガラス壊してまわってやりますよ。





それはそうと、好むと好まないのとにかかわらず、この世は競争原理に支配されています。それは小さな虫から国家まで。すべての生物は競争しないで生きていくことはできません。ですから、競争そのものが悪いとか、一切の競争を無くそうとかいう議論にはあまり意味がありません。

そして競争することで生物は進化し、競争することで社会は発展してきたのです。しかし過度な競争はかえってマイナスにもなる。良い面も悪い面もあるわけですから、大切なのは競争との付き合い方、利用の仕方です


まずは、無意識に受け入れている競争を、きちんと認識しましょう。「運動はチーム分けして勝敗を決するのがあたりまえ」、「美術には点数をつけないのがあたりまえ」、そういう固定観念が本当に最善なのかを疑ってみることです。