じゃんけんやめろ Stop rock paper scissors

みなさん、じゃんけんしてますか。


わたしは毎日しています。めざましテレビの「めざましじゃんけん」に毎日参加している……っていうか毎日4回参加しています。そうです。私は「めざましじゃんけん」に参加するためだけに、めざましテレビを週5日・2時間半見ています。

そんなじゃんけん好きの私ですが、実生活ではほとんどじゃんけんをしません。「そんなに普段じゃんけんするか?」と思うかもしれませんね。でもたぶん、気付かないだけでけっこうしているはずです。




外国の方に向けて説明しますが、じゃんけん発祥の地である日本の民は、ありとあらゆることをじゃんけんによって決めようとします。発言の順番や、ときには役職ですら。これは大人でもそうです。日常の中に遊戯性が取り込まれていて、とてもほほえましいですね。

で、私はそうした日本人のじゃんけん大好き文化が大嫌いなので、じゃんけんを消滅させるべくここにその理由を書こうと思います。





主体性を放棄して生きていたい

そもそもどうして何でもかんでもじゃんけんで決めたがるのかと言うと、自分で決めたくないからです。自分で決めると、不利益が生じたときに責任を取らなくてはならないので。その責任を回避するためなら、たとえ良くない結果が見えていても、頑として口を閉ざす。それがこの国の悪癖です。

たとえば、学校で新年度初の保護者会では、PTA会計や広報などの役職を保護者が担当するための話し合いが行われるのですが、たいていは、「みなさんやりたくないですよね。それじゃくじびきにしましょう」ということになるのです。あほか。

やりたくないにしても、その度合いは人によって異なるでしょうが。時間の有無、興味の有無、能力の有無、そういったことをすべて無視して、全部くじ引きで決める。このことがいかに組織全体のパフォーマンスを落とすかは明白です。明白ですが、そうするしかない。この国の人間にはもれなく、「誰も名乗り出てはいけない」という呪いがかかっているからです。この呪いのことを、別名「同調圧力」といい、全員が同じ思想・能力・立場にあることを強制しているのです。まごうことなき個性の抹殺です。




私がマジでガッデムと思う日本人の国民性まとめ

  • 責任を取りたくない
  • 自分で決めたくない
  • 周りに合わせて安心したい



これ、太平洋戦争のときから変わっていないですからね。
みんな「お国のため」といって謎の「お国」のために命を捧げ、戦争が終わると「国中がそんな空気に飲まれていた」と語ったのです。常に自分の行動を誰かに預けていたことがわかります。

当時は主体性を教育されることもなければ、国家に異を唱えることも禁止されていたので強く責めることはできませんが、「主体性的に生きよう」と教育されて言論の自由すらある現代で、いまだに「周りに合わせて安心していたい」、「発言の順番ですら自分で決めたくない」という軟弱な精神は、今すぐ叩き直してもらいたいものです。





奥ゆかしさと主体性

ところで、「そうはいっても、遠慮深いのは日本人の美徳ではないか」と思われるかもしれません。ここで、奥ゆかしさと主体性は相反するものではないことを理解しましょう。

日本人の美意識の中には、
  • 奥ゆかしさ、腰の低さ
  • 物事をはっきり言わない「察しの心」
といったものがあります。私もこれらの意識を美しいと感じますし、忘れてはいけないと思います。

しかし、奥ゆかしいことと主体性がないことはまったく別です。というか、主体性のない人が自分の意見を言わなかったとして、それは奥ゆかしいとは言えませんね。自分の考えをしっかりもった人が、あえて譲るべきだとする姿勢が奥ゆかしいのです。





じゃんけんやめろ

結局なにが言いたいのかというと、「主体性をもて。まずじゃんけんやめろ」。これに尽きます。


あなたも、「じゃんけんのない国の人は、ちょっとした事をどうやって決めているの?」という疑問をもったことはありませんか。この発想は日本人独特のものです。そもそもちょっとしたことなら、「あ、じゃあまず私が」とか、「ここは前回参加していた○○さんからお願いできますか」でいいわけです。わざわざ「最初はグー!」とやりだすのは完全な時間の無駄です。

教室でも、私が「班の中で順番に書いたことを発表しましょう」と言うと、たいていはまずじゃんけんが始まります。私は、「まてまて、それはあまりに子供だ」と言って、「じゃあ僕からやるよ」という人間になれと話しています。


とはいえ、給食で余ったおかずはじゃんけんの勝者のものです。あの熱い戦いは楽しいコミュニケーションですから。それに最後数人になると、意外にも譲り合いがあったりします。「主体的に譲り合って」いる。みんないい大人になりそうです。