全体と個
基本的に教師はいつも一対多数で生活しています。ですから、全体の動きを見ることはもちろん大切です。それと同時に、個に対応することがとても重要です。全体と個。
この両方をとらえて指導していくことが教師にとって大切だと思います。ちょうどカメラのズームインとズームアウトみたいな感覚でしょうか。そういう見方ができると、見えるものが変わってくるのです。
とはいえ、言うは易く行うは難し。
たとえば授業では、一番理解の遅い生徒に合わせて全体に指導することは、適切ではありません。全体を見て進める必要があります。かといって、理解の遅い生徒を放置するのもいけません。困りましたね。みなさんも自分ならどうするか考えてみてください。そのとき「こうする」という手段をたくさん持っているのがプロの教師なのです。うふふ。
お父さんとお母さんにありがとうを言おう
「お父さんとお母さんにありがとうを言おう」という言葉は、NGとまでは言わないものの、人権感覚に優れているとは言えません。昭和のかつては何の疑問もなく言われていたように思います。教師なら、社会の変化に合わせて人権感覚を磨いていきましょう。「ご両親」も、教室全体に使うべき言葉ではないでしょう。「おうちの方」や「保護者」と言ったほうがいいですね。授業参観や保護者会も、私が子供のころにはまだ父兄参観とか父母会とか呼ばれていました。そう考えると、平成の31年間は、人権がずいぶん見直されてきたと言えるのではないでしょうか。
みんなとか全員とか
あ、勘違いなさらないでくださいね。言葉遣いに気を付けようという話ではありません。常に個を見よう、少数を見逃さないようにしよう、ということです。私はかつて、長期欠席の生徒が欠席しているにも関わらず、「みんないるね~」と言いながら出席をとってしまったことがあります。これは言葉に気を付けるという問題ではなく、その生徒に対する私の意識が足りなかったのです。とても反省しました。
また、以前勤務していた学校の運動会では、放送委員が、「全校生徒○○人の大行進です」とアナウンスしていました。誰も何も気にしていませんでした。そんな中で、私の先輩の先生は、「これ、不登校の生徒の親が聞いたらどんな気持ちなんだろうな」と私に言いました。やっぱこの人はすげえなとしみじみ思ったものです。そういう少数の人のことをどれだけ大事にしているかが、教師の本質ではないかと思います。いえ、人間の本質であってほしいと願います。
私たちは、つい木を見て森を見ず、森を見て木を見ず、狭い視野で物事をとらえがちです。あー、「私たち」っていうか私です。見えやすいものに目を奪われて、その陰にあるものを忘れてしまう。せめて人を見るときには、個を、そして少数の人たちを忘れないように気を付けようと思っています。