この記事のざっくり
これは私が言わなくても方々から言われていることですが、作家が逮捕されたからといって作品を自粛することに、なんの意味があるんじゃーい!
そういう謎の自粛が、不寛容社会を増長させて、制作サイドの首を絞めているってことに、早く気付いてくださーい!
そもそも、自粛するのはなぜ?
二つの理由が考えられます。 ※これ以外にあったら教えてください。(1)企業のイメージダウンを避けるため
(2)クレーム対応を避けるため
まず、逮捕された人の作品を販売することによって企業のイメージが下がるかどうかですが、人によります。下がるかもしれませんし、下がらないかもしれません。上がるかもしれません。人の好みは様々ですから。企業はプラスマイナスを総合的に判断して、選択するしかありません。ですから、企業以前に私たち消費者が、作品と作者の別という良識をもたなければいけないということです。
とはいえ、犯罪をした人の手記が大手出版社から出ていることを考えても、現状消費者の大多数はそのような良識を備えていると見ていいのではないかと思います。
むしろ厄介なのは少数のクレーム対応ではないでしょうか。「あんたのとこは犯罪者の作品を売るのかい。犯罪を後押しするってのかい!」という正義の暇人からの攻撃は、企業としても無視するわけにもいかず、生産力に明確な打撃を与えます。
これらソーシャルジャスティスウォリアーに先手を打つための自粛……そう考えると致し方ないようにも思えますが、先手の打ち方を間違えています。このような、殴られないために先にお金を払うような行為は、逆に暴力に権力を与えてしまいます。モンスタークレーマーに卑屈な態度こそが、不寛容社会の根源です。
もし先手を打つなら、ホームページに、「今回の○○容疑者の逮捕について」とポリシーを掲載し、販売の正当性を伝えるのが、企業のとるべき行動ではないでしょうか。
っていうか、本当に販売しちゃいけない物を売ってたと思うなら、全部回収して返金すべきです。そうじゃないでしょう? 自信をもってください。
選択できるメディアとできないメディア
「犯罪者が出ている映画なんて見たくもない」っていう人は、見なければ済む話ですね。「犯罪者が作った音楽なんて聴きたくない」という人がいたら、CDを買わなければいい。街中で四六時中流れるわけでもないのですから。視聴を選択できるメディアにおいて、自粛は消費者の利益につながりません。
そういう意味では、テレビCMへの起用は避けたほうがいいと思います。CMは、選んで見ることも見ないことも難しいので。
また、裁判員制度広報映画がお蔵入りになってしまうのも仕方がないことでしょう。広報映画は視聴者が選択的に見る映画ではなく、CMと同じ役割をもつからです。
作者と作品を別個に考えよう
国語の話をすると、作者と作品を同一視するのは、優れたものの見方とは言えません。作品が作られた時代や文化的背景と同じように、作者もその作品を評価するための一つの材料に過ぎないのです。私は宮沢賢治の作品が好きですが、同じように宮沢賢治を愛せるとは限りませんしね。また、ゴッホの絵が高価なのは、作者がゴッホだからです。でも、ゴッホの絵が美しいのは、作者がゴッホだからではありませんね。作品単体に人を感動させる力があるのです。
そういうことを私は国語サイドから伝えていきますので、どうか企業のみなさま、これからも御社の商品を大事にしてくださいませ。