教育でも鬱でもなくてガチ国語の話なので、このブログに書くべきかどうか迷ったのですが、調べたものは自分の手元だけに置いておくより、見える所に出したほうがいいと思ったので上げておきます。
『走れメロス』の系譜を調べたよ
私は長いあいだ光村図書の教科書にある『走れメロス』を読んできましたが、最近青空文庫の『走れメロス』を読みましたら、細かい表記がけっこう違うんですね。教師としても朗読者としても興味が湧いたので、そのへんをちゃんと調べてみようと思いました。
初めは異同だけ調べるつもりだったのですが、「あり、『フィロストラトス』ってシラーからいるのか? 太宰の創作か?」とごちゃごちゃしてきて、結局成立を調べざるをえなくなってしまいました。太宰がシラーの『人質』をもとに『走れメロス』を書いたってことくらいは知っていたのですが、それ以前の話が思ったよりも複雑でした。ここではみなさんが雰囲気なるほど~ってなるくらいに簡単に書いていこうと思います。
ダモンとフィンティアス
王様に処刑されそうになり、親友を置いていく、ちゃんと戻る、感動!……という話の原型は、実はスゲー昔からあります。どのくらい昔かって、紀元前からあります。
王様の名前はディオニュシオス2世(紀元前397-紀元前343)。古代ギリシア植民都市シュラクサイ(現・シラクサ)を支配していた実在の人物です。さまざまな歴史書に記され、「ダモクレスの剣」のエピソードでも有名です。同時代の有名な人物は哲学者プラトンですね。
この王様に楯突いたのがフィンティアス、人質として残ったのがダモンという若者でした。二人は宗教結社のピュタゴラス教団に属していて、この話もピュタゴラス派の結束の強さ示すものとして語られています。現実にあったかどうかは別として、いくつかの書物で史実として書き残されています。
「ダモンとフィンティアス」の名前は、ギリシアからドイツや英語圏を経て日本のカタカナに直されているので、訳者によって「デイモンとピシアス」だったり、「ダーモンとフィジアス」だったりします。
ダモンとフィンティアスの話が記されている古代の書物
- シケリアのディオドロス『歴史叢書』(紀元前1世紀)
- ウァレリウス・マクシムス『著名言行録』(30年)
- カルキスのイアンブリコス『ピュタゴラス伝』(4世紀)
モイロスとセリヌンティオス
著作家ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス(紀元前64年頃-17年)は『神話集』にて、ダモンとフィンティアスの伝承をもとに『友情で最も固く結ばれた者たち』を創作しました。ピュタゴラス派という要素を抜き、フィンティアス → モイロスに、ダモン → セリヌンティオスに変更しました。3日間の猶予、妹の婚礼、川の氾濫、磔刑はヒューギヌスによるものです。今から2000年前に、メロスの原型はここまで完成していたんですね。
1799年、ドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーは、この『友情で最も固く結ばれた者たち』をもとにして『人質』という詩を発表します。ふぃー、ようやく知ってる名前が出てきたよ。
明治~太宰以前
日本では明治時代以降、西洋の文学が翻訳されて広く読まれるようになりました。
ダモンとフィンティアスの物語は数多く翻訳され、尋常小学校の修身の教科書にも掲載されています。明治37年に国定教科書が制定されるまでは、修身の教科書もいろいろな種類がありました。このとき登場人物は、ダモンとピチアスと表記されることが多かったようですね。
いっぽうシラーの『人質』も三浦白水や秋元蘆風らによって翻訳・出版されました。
真の知己
さらに時代は下って大正元年、高等小学校の国定教科書『高等小学読本 巻1』(今でいう中1の国語)に『真の知己』という作品が掲載されました。これもダモンとフィンティアスの物語のひとつで、登場人物は「ダモンとピチュス」でした。当時の教科書には出典どころか作者(三土忠造か?)も書かれていないのがやばいですね。この『真の知己』は、大正元年(1912年)から終戦の1945年まで、国定教科書に掲載されていました。ですから、太宰もこの作品を学んでいたことになります。
走れメロス誕生
昭和12年(1937年)、ドイツ文学者の小栗孝則は、シラーの『人質』を翻訳し、『新編 シラー詩抄』の中で『人質 譚詩』を発表しました。友の名は詩の中には現れませんが、注で「セリヌンティウス」としています。
そして、1940年、太宰治『走れメロス』が『新潮 5月号』にて発表されます。翌月出版された単行本『女の決闘』(河出書房、1940年6月15日)に収録されました。のち『富嶽百景』(新潮社、1943年1月10日)にも収められています。文章の最後には、「(古伝説と、シルレルの詩から。)」と添えられています。その内容の類似性から、とりわけ小栗孝則訳「人質 譚詩」を参照したことは間違いないでしょう。
太宰の『走れメロス』は、あらすじこそ『人質 譚詩』を踏襲していますが、その優れた心情・情景の描写、人物の生き方・考え方の深みは、これまで幾千年書かれてきたダモンとフィンティアスの物語を圧倒しているように感じられます。
教科書には、1955年に『国語総合編 中学二年上』(中教出版)から採用されました。2020年現在では、中学校2年生の国語の教科書すべてに掲載されており、令和3年の改定でも同様の予定です。
檀一雄との熱海行
檀一雄の『小説 太宰治』に登場する次の一節はあまりにも有名でしょう。
待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね
熱海に遊興の末、金を使い果たしてしまった太宰は、檀を宿の人質に置いて東京へ金策に走る。何日立っても戻らない太宰に業を煮やして、檀が債権者に連れられて太宰を訪ね当てると、太宰は井伏鱒二と将棋を指していた。ブチ切れる檀に(正確にはちょっと落ち着いたころを見計らって)太宰が言った最低で最高にクールな一言です。
檀は同作の中で、「私は後日、『走れメロス』という太宰の傑れた作品を読んで、おそらく私達の熱海行が、少くもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」と記しています。
調べてみて
シラーの『人質』をもとに太宰が『走れメロス』を書いた。それは知っていたつもりでしたが、ほかはいろいろと誤解していました。この話のモチーフは古代からあるにもかかわらず、シラーが作ったものと思い込んでいましたし、太宰もシラーだけを読んで書いたもんだと思っていました。いやはや、いけませんね。
いけませんけど、私みたいに思い込んでいる国語教師も多いのではないでしょうか。というかこれ個人で調べるの大変すぎるので、教師用指導書に書いておいてくんねえかな。
そしてこれが準備という現実。次回は本来の目的を取り戻して『走れメロス』の異同をやるよ! 完全に私の悪い性格が出ちゃってるな……
参考文献
杉田 英明『葡萄樹の見える回廊―中東・地中海文化と東西交渉』岩波書店,2002-11-28
奥村 淳「太宰治「走れメロス」、もうひとつの可能性」山形大学紀要 人文科学 17(1), 39-78, 2010-02
佐野 幹「文部省編『高等小学読本』(1888)「恩義ヲ知リタル罪人」の教材化に関する研究」読書科学57 巻 (2015) 1-2 号
斎藤 理生「初等・中等教育の国語科授業に活用し得る日本近代文学作品の読解の観点:定番教材を中心に」大阪大学教育学年報. 23 P.195-P.204,2018-03-31